あの日も今日のような晴天でした。
当時はまだ世田谷区で保育をしていたのですが
いつものようにお散歩して、お昼を食べて、お昼寝して…
あの時間
子どもたちはよく眠っていて、揺れにも気づかず、急いで起こして、揺れが収まるまで机の下に避難をしました
すぐに保護者にメールをして、無事でいる事を知らせました
何度も何度も余震があって その度に避難して
最終のお迎えは外国籍のお子さんで、時刻は24時を回っていました
ご両親は帰宅困難となってしまい、渋谷から歩いて来られました
他国での被災、どんなに心細かった事でしょう
すぐに私のパソコンでニュースを見ていました
それで日本が危ないと感じたかどうかはわかりませんが、3月末には母国へと帰国していきました
もう10年ですが、昨日のことのように感じます